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禅の暦
Calendar of ZEN
令和6年 禅の暦
Calendar
禅
語
しんにょ
真如
あるがままが美しい
おのずから手を合わせる姿も仏の姿
禅語の出典 『六祖壇経(ろくそだんきょう)』
「真如(しんにょ)」とは、古代インドの言葉から来ており、直訳では「あるがままであること」。
聖観音さまは、全ての観音さまの根本、真実の菩薩の姿であると言われています。
撮影許可をいただいたこの聖観音さまは、人肌に近い色彩から「人肌観音」とも呼ばれ、地域で親しまれています。
人肌、人に近い観音さまのお姿を、鏡に映る手を合わせた自分の姿と受け止め、
「あるがままの自分自身は、清らかで美しい」ことを感じて下さい。
聖観音
聖観音はすべての観音様の根本であり、
苦しむ人々の声を聞き届けお救いくださる仏さまです。
人肌に近い色彩のため「人肌観音」と呼ばれる成法寺の観音さまは応長元年(1311)作で県指定重要文化財。
成法寺観音堂は室町時代後期の建立で国指定重要文化財。
禅
語
みょうじゅざいしょう
明珠在掌
誰しもが本来は 仏の心を
もっています
あなた自身も
禅語の出典 『碧巌録(へきがんろく)』
「明珠(みょうじゅ)掌(たなごころ)に在(あ)り」とも読みます。直訳では「光り輝く宝石、それは手のひらにある。」となりますが、ここでいう宝石とは、ダイヤやサファイアであったり、高価なアクセサリーということではありません。誰もが自分の中に持っている清らかな心のことです。
「光り輝く宝石とは、清らかな心そのもの。それは、遠く彼方にある手の届かないものではなく、本来は誰もが皆自分自身の中に持つ、仏さまの心のことである。」という意味になります。
如意輪観音さまは、悩み苦しむ私たちを救うための「宝珠(ほうじゅ)と法輪(ほうりん)」を持ち、私たちの願いが叶うようにと常に近くでお守り下さっています。
如意輪観音
如意輪観音は人々の苦しみを救うための六本の腕を持ち、その手にあらゆる願いを叶えるといわれる如意宝珠や仏法の象徴である法輪などを持ちます。会津三十三観音霊場第八番札所のご本尊で鎌倉時代の運慶作と伝えられる観音寺の観音さまは、県指定重要文化財。
禅
語
せむい
施無畏
数多の手で あらゆるものを救う
観音様は 私たちの理想の姿です
禅語の出典 『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』
施無畏(せむい)とは、菩薩が人々の苦しみを救い、恐れや不安を取り去り安心させることで、「施無畏者」は観音さまの別名です。
この菩薩とは、悟りを求める存在のことであり、観音さまもまた菩薩の中のお一人です。
どの観音さまも私たちをお救い下さることは共通しますが、特に千手観音さまの功徳として、「地獄に落ちて苦しむものを救い導き、そしてこの現世でも、その数多の手でもってあらゆるものを救済する無限の力がある。」とされています。
千を越えるといわれる「数多(あまた)の手」でもって、私たちの様々な畏怖(いふ)の念を取り去り、救ってくださる千手観音さまのお姿とお力を感じて下さい。
千手観音
千手観音は千手千眼観音ともよばれ、すべての手に眼を備え、その限りない力で全ての人々の苦しみをもらさず救う多くの功徳を持ちます。円通寺の観音さまは江戸時代の初めより仙道三十三観音霊場第十四番札所のご本尊として人々の篤い信仰を受けてきました。
禅
語
ほうげじゃく
放下著
忿怒の相は 全ての煩悩を断ち切る
執着を手放すことが 悟りへの道
禅語の出典 『趙州録(じょうしゅうろく)』
放下著とは放下着とも書きますが、どちらも同じ意味で直訳では「下に置きなさい。手放しなさい。」の意味です。この禅語は命令口調のやや強い表現をとり、「己の執着や誇っているものを手放すべきだ」という教えになります。
写真は馬頭観音さまになります。「観音さま」と言えば、やさしく安らかな表情が多いですが、この馬頭観音さまは怒髪天を衝く表情で、忿怒(ふんぬ)の猛威が感じられます。恐ろしくも見えますが、喉の渇いた馬が濁り水を一心に飲むようにあらゆる魔を消滅し、あえて厳しく見えるような形相で、苦しみや迷いに囚われた人々を救う功徳を持っています。
この厳しい忿怒(ふんぬ)のお姿を通して、煩悩を断ち切る様を表現し「放下著」としました。
馬頭観音
馬頭観音は忿怒の姿で頭上に馬頭を頂き、煩悩を食い尽くすとともに除災や動物守護の功徳があります。伏黒平寺観音堂のご本尊である観音さまは、村人が畑から掘り出した像を江戸時代の半ばに京都の仏師によって修復されたものと伝えられています。別当は光臺寺。
禅
語
ねんげみしょう
拈華微笑
母のような微笑み
語らずとも 見守っています
禅語の出典 『無門関(むもんかん)』
拈華微笑とは、お釈迦さまの故事のひとつです。
「お釈迦さまが花をつまんで拈(ひね)ってみせたとき、他の弟子はその意味するところをわからないで沈黙していた。その中で、弟子の一人である摩訶(まか)迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)だけが、意味を理解し、微笑みを浮かべた。これを見て、お釈迦さまは摩訶迦葉尊者を後継者と定めた。」というエピソードです。
「拈華微笑」とは、文字や言葉だけでは伝えることが困難な「仏の教え」を大事にして受け継いできた禅宗において、とても大切にしてきた言葉です。
准胝観音さまは一般には准胝仏母(ぶつも)、「仏の母」と書き仏母観音とも呼ばれます。除災延命や安産、子授けの功徳があるとされ、特にこの地域で篤く信仰されている准胝観音さまは、子供達を見守り育ててくださる仏さまとして親しまれています。
この観音さまの表情から、母のような温かさが感じられます。この微笑みながら蓮の華を持つ姿をご覧いただき、言葉で表すことが難しい、慈しみに満ちた観音さまの功徳やありがたさを感じて下さい。
准胝観音
准胝観音は心を清らかにし、除災延命、安産、子授けなどの功徳を持つ仏さまです。醴観音堂(あまざけ観音堂)のご本尊である観音さまは慈悲深く子どもをお守りくださる仏さまで、明智光秀の家臣大石氏が落ち延びる際に兵庫県尼崎市から奉持したと伝えられます。別当は桜本寺。
禅
語
じげんじしゅじょう
慈眼視衆生
心静かに 手を合わせましょう
慈しみの眼差しは
一切を救うお姿です
禅語の出典 『妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈󠄁』(観音経)
『観音経』というお経の中に、「慈眼視衆生」という言葉があります。「観音さまは、慈悲の眼(まなこ)で全ての人々を見つめ、お守り下さる」という意味になります。
写真の観音さまは特に、優しく穏やかなお顔でいらっしゃいます。さらに、合わせて十一のお顔でまさに私たちを見つめ、見守り下さっています。
観音さまのこのお姿に優しく見守られて、心の安らぎを感じていただきたいと思い、「慈眼視衆生」としました。
十一面観音
十一面観音は頭上に十一の顔を持ちあらゆる方角に顔を向け人々を救う仏さまで、延命、病気平癒などの功徳があります。中田観音堂のご本尊である観音さまは野口英世の母、シカが深く帰依したことで知られ、文永十一年(1274)の鋳造で脇侍の地蔵菩薩、不動明王とともに国指定重要文化財。
禅
語
えこうへんしょう
回向返照
慈悲の光に優しく照らされて
自己の心を見つめれば
ほとけと出会う
禅語の出典 『臨済録(りんざいろく)』
回向返照とは、「太陽が西に沈む時、空は反射によって明るく光る。」という原意より転じて、心を内に向けて修行する、禅の基本であり、また出発点を示す教えの言葉です。また、このことより転じて、自己の心が仏であると知れば、それは安楽の境地であるとも説かれています。
この十一面観音さまは、どんな困難があっても、例え地獄の底でも、杖をついて私たちに救いの手を差し伸べて下さるといわれています。
慈悲の光が感じられるこの十一面観音さまのお姿に向かって、手を合わせている私たちの心、そして私たち自分自身が、まさにそのまま仏さまなのではないでしょうか。
長谷式
十一面観音
長谷寺のご本尊である十一面観音さまは、右手に錫杖を左手に未敷蓮華の水瓶を持ち、岩座に立つ「長谷式」といわれるお姿で、胎内の墨書銘から文保二年(1318)に造立されたことがわかり県重要文化財に指定されています。
脇侍として難陀竜王、雨宝童子が祀られています。